あ04 アムモニア注射>>>アルペン風の様式

アムモニア注射496
アモレアン猶太人ジュウ449
アラゴニアの聖セントラケル253
アラゴン時代の戦槌462
亜刺比亜・希臘アラブ・ヘレニックの科学200
純亜刺比亜・加勒泥亜アラブ・カルデア呪術321→カルデア
亜刺比亜模様アラベスク348
白羊宮アリース457,458
アリウス神学派二世紀・291
アリオン602
頭韻アリテーション397,398
列拱アルカード292
「アルカナ・コイレスチア」259→スウェーデンボルグ
塩基物アルカロイド249
錬金術アルケミー281
錬金抒情詩アルケミー・リリック327
「点火術要論アルテ・デ・ラ・ピロマンティ」647
畢宿七星アルデバラン458,主星アルデバラン458
アルノウ338
アルノルディン438
アルビ379,・教徒 379
アルファベット566
アルフェラッツ星357
アルペン風の様式350

アムモニア注射

496
▼それで、試しに私は、屍体の皮下にアムモニア注射を致したので御座いました。所が、それには明瞭はっきりと、生体特有の赤色が泛んで来るではありませんか。496p
■ammumonia(water)injection アンモニア中毒の項 アンモニア注射は皮膚に紅斑を起こさしめ【MD】

★イタリア人のモンテベルディ博士Monteverdiによって、肉体が本当に死んだ状態にあるかを調べる下記のような検査が開発された。これによれば、死体の皮下組織にアンモニアを注射した場合、本当に死んでいる場合は、まったく変化が現れず、生きていた場合だけ紅斑がでるという。アンモニアの皮下注射が、死体をまるで生者のようにみせるという説は、虫太郎の誤解と思われる。

Sir B. W. Richardson says* that if the blood be found firmly coagulated in two or three veins, and if a long cord of coagulum can be drawn out of a vein, the evidence is con- clusive that death is absolute. He also relates a rather exceptional case. A lady died suddenly in the country ; he was called in and opened a vein ; blood flowed as freely as after an ordinary venesection, though there was no elevation of the stream, and the blood remained quite fluid for many hours, and never coagulated firmly. Rigor mortis also was absent. The same phenomena were repeated five days after death. Monteverdi's ammonia test is another experiment on the arterial circulation. If 10 minims of liq. ammoniae (sp. gr. 1090) be injected under the skin, there will be a reaction in the form of a wine-red erythematous blotch with raised spots as long as the circulation is going on. If this has ceased, there will only be a blotch of dirty skin-colour. Redness of transparent tissues under a strong light is another, but subordinate, test of the presence of circulation.
Brouardel, Paul "Death and sudden death" (1902)

★また、NewYorkTimes 1898.7.24の記事 "YOU CANNOT BE BURIED ALIVE." では、同様のアンモニア注射による検査の他、十数項目の検査法が示されている。当時、死体埋葬後の蘇生が問題視されており、生死判定が重要になっていたことが分かる。

アモレアン猶太人ジュウ

449(最も欧羅巴人に近い猶太人の標型)

★いろいろ探してみましたが、アモレアンに該当する人種は見つかりませんでした。それらしきものが初期ユダヤ史に登場するので一応引用しておきます。また、アンモン人という人種もありましたがユダヤ人とは敵対関係にあるようなので取り上げません。
★ヘブライ人(Hebrews)は初めバビロニヤに占據してゐたアモリト族(Amorites)の分派で、アラメヤ人と同種であるが、宗教上の信仰が其同族と異なって居り、一神教(Monotheism)を奉じた為めに周圍から嫌厭され、紀元前2000年の頃、パレスチナに移住した。【世界古代文化史 西村眞次 東京堂s6/8 92p】

同書より

★西部のセム人 夙に前3000年若しくは少しく後に、彼等(*遊牧民)は沙漠から流入してパレスチナの地に定住しつつあった。さうして彼等は前2500年までに、其の地に城壁都市を所有して居たのである。パレスチナに於けるヘブライ人の先住者たる是等の人々は、カナーン人と稱する部族であって、ずっと北にはアモリ人と稱する優勢な部族が定住し、北シリヤの沿岸には既に一時沙漠の放浪者であった是等の人々の若干が航海に從事して、フェニキヤ人となってゐた。〔以下セム族とスメル人との交渉についての記述あって〕スメル人とセム人との間に數百年の爭がつづき、 西方からの侵入者アモリ部族が小さなバビロン町の支配権を得た。その一王ハンムラビは30年間戦って全バビロニヤを征服した(前2100頃)。このセム人第二の偉王ハンムラビは是迄言ふに足りない小さな町であったバビロンを、この頃から恐らく『バビロニヤ』と言って不都合のなかるべき平野の首都に高めたので、ここに再び沙漠の民族が勝利を得たのである。【古代文化史83-93pプレステド 間崎万里譯】

★Western-Semitic (Amorean)
関連サイト  関連サイト

アラゴニアの聖セントラケル

253
■Rachel【SSD】Rahel【SSDD】
aragonia
aragonia
★この古地図でも明らかなように、〈アラゴニア〉が、通常使用される〈アラゴン〉の別名もしくは古名だと思われる。


アラゴン王国で使用された硬貨
関連サイト

アラゴン時代の戦槌かけや

462
■Aragon 11世紀前半、イベリア半島の地中海岸に建てられた王国。14-15世紀シチリアからナポリにも勢力を広げ、1479年カスティリア王国と合同してスペイン王国を形成。【広辞苑】
■戦槌 Lucerne hammer,war hammer,Sledgehammer

関連サイト

亜刺比亜・希臘アラブ・ヘレニックの科学

200
▼元来ウイチグスという人は、亜刺比亜・希臘アラブ・ヘレニックの科学を呼称したシルヴェスター二世十三使徒の一人なんだ。200p
■8世紀末からサラセン文化の黄金時代【SH】→ゲルベルト

純亜刺比亜・加勒泥亜アラブ・カルデア呪術

321→カルデア
▼これは漂流楽人スカルド中の詩王イウフェシススの作と云われているが、これを史家べルフォーレは、十字軍に依って北欧に移入された純亜刺比亜アラブ・加勒泥亜カルデア呪術の最初の文献だと云い、それが培つちかって華と結んだのがファウスト博士であって、彼こそは中世魔法精神の権化であると結論しているのだ 321p

亜刺比亜模様アラベスク

348
▼その窓の外側には、アカンザスの拳葉けんようで亜刺比亜模様アラベスクが作られている、古風な鉄柵縁が張り出されてあった。348p
■Arabesque【SSD】

白羊宮アリース

457,458
■Aries [羅]黄道上の第二星座。魚座の東、牡牛座の西にある。初冬の夕暮に天頂近くで南中。【広辞苑】

関連サイト

アリウス神学派

二世紀・291
▼ところで、二世紀アリウス神学派の豪僧フィリレイウスは、斯こう云う談法論を述べている。霊気ニューマ(呼吸の義)は呼気こきと共に体外に脱出するものなれば、その空虚を打て――と。また、比喩には隔絶したるものを択えらべ――と。正に至言だよ。291p
■Arian,Arianism.
■アリウス (250頃-336頃)Arius アレキサンドリアの神学者キリスト論に関する異端アリウス主義 Arianismの主唱者。ギリシア名アレイオスAreios。(325)ニケーア宗教会議にて異端とされたもの【IB】

■アリウスArius (250頃-336頃)キリスト論に関する異端アリウス主義 Arianismの主唱者。ギリシア名アレイオス Areios。アンティオキアのルキアノスの弟子で,アレクサンドリアで聖職につく。禁欲主義的態度と説教の巧みさで人気を得た。319年ころキリストの神性について従属主義的な教えを説きはじめ,まもなくエジプトのみならず東方全体にひろめた。事態を重視したアレクサンドリア主教アレクサンドロスは主教会議を開き,アリウスを破門に処した。アリウスはニコメディアのエウセビオスを頼った。皇帝コンスタンティヌス1世はコルドバ司教ホシウスに調停を命じたが,失敗した。そのため325年,ニカエアで第1回公会議(ニカエア公会議)が開催され,アリウスの教えは公式に弾劾された。その際採択された〈ニカエア信条〉によって,父なる神と子なるキリストの関係は〈ホモウシオス(同質)〉と定められた。イリュリアに追放されていたアリウスはエウセビオスなどのとりなしで復帰を許されたが,コンスタンティノープルの路上で急死した。
 アリウスは,子なるキリストが生まれた者ならば,存在の始めと存在しなかったときがあり,しかも子は創造された者であるとして,父なる神と子なるキリストが同質ではありえず,異質的(ヘテロウシオス)であると説いた。これに対し,アタナシオスをはじめとするニカエア派は,キリストの生誕は人間の誕生と同一の次元で考えるべきではなく,子なるキリストは父なる神の本質によって永遠に生誕するものであるとした。しかしアリウスの教えはニカエア公会議ののちも多数の信奉者を有していた。とくに東方では皇帝の支持もあって,アリウス派が勢力をふるい,ニカエア派が迫害にさらされた。一方,アリウス没後のアリウス派はしだいに分裂し,極端なアリウス主義ともいうべきアノモイオス派(父と子が単に異なるとする),神学上の微妙な判断を避けたホモイオス派(父と子が似ているとだけいう),半アリウス派とも呼ばれニカエア派に近いホモイウシオス派(父と子が類質であるとする)の三つに分かれた。結局,この論争はカッパドキア教父の積極的な介入もあって,381年のコンスタンティノープル公会議において,ニカエア信条を確認することによって決着がつけられた。アリウス派はそれ以前にゴート人のもとに伝わった。また近代のキリスト教諸宗派のなかでアリウス派に近いものは〈エホバの証人〉(ものみの塔)である。 森安 達也【大百科】

★現在のキリスト教では所謂父たる神と子たるキリストは同列の存在であるが、アリウスは子(キリスト)は創造されたものであり神と同列の存在ではないと説いた。東方やヨーロッパのゲルマン人に信奉者が多かったが、異端として排除された。なお、アリウスは三世紀の半ばに生まれており、二世紀という記述は虫太郎の勘違いでしょう。

関連サイト

アリオン

602
■Arion
★アリオンは、レスボスの島に生まれた有名な詩人で、また楽人であった。ある時、 コリントス王ペリアンデルに従い、シチリヤ島へおもむいて、音楽のコンクールに勝ち、莫大の賞金を得た。しかし、帰国の途中、生地レスボスを訪おうと船に乗ると、水夫らが彼を殺して金を奪おうとした。
アリオンは助からぬ命とわかると、楽人らしく死にたいと申し出で、紫と金じきの衣をつけ、花わをいただいて、船べりに立った。そして、琴を象牙のばちでかき鳴らすと、いつの間にかたくさんのいるかが船のまわりに集まって来て、その妙音に聞きとれているようだった。
アリオンはやがて海へとびこんだ、すると、一ぴきのいるかが彼を背に受けて、ラコニアの岬タイナロスへ運んで行った。アリオンはそこで上陸して、無事にペリアンデルの王宮へ着いた。それとも知らず、おくれて帰って来て口から出まかせの報告をした水夫らは、たちまちはりつけにされたという。
【星の神話・傳説集成 野尻抱影著s30/s48恒星社厚生閣】

★音楽好きの海豚いるかとは、このエピソードから持ってきたものです。解説は星の大家 野尻抱影の名著から。ストラヴィンスキー「乳母の踊り」でも言ったとおり、虫太郎の音楽好きは、筋金入り。


Dürer Albrecht, The Greek Poet Arion Riding the Dolphin, 1515
関連サイト

頭韻アリテーション

397,398
▼然し、何故かsechゼッヒ(短剣)と云うと狼狽の色が現われて、しかも、短剣の刻印ゼッヒ・シュテムプルと、頭韻アリテイションを響かせて一つの音節シラブルにして云う所を、sechゼッヒとStempelシュテムペル(刻印)の間に不必要な休止ポースを置いたのですから、それ以下の韻律を混乱に陥し入れてしまった事は云う迄もありません、何故セレナ夫人は、そう云う莫迦気た朗誦法を行ったのでしょうか。368p
■alliteration【SSD】
関連サイト

列拱アルカード

292
▼楽の音は柱から柱へと反射して行って、異様な和声を湧き起し、今にも、列拱アルカードから金色燦然たる聖服をつけた、司教助祭の一群が現われ出るような気がするのであった。292p
■arcadeアーケイド 建築物の側面に並んだアーチの列,内部が廊下のようになっていることが多い【SSD】

関連サイト

「アルカナ・コイレスチア」

259→スウェーデンボルグ
▼判りましたが……然し久我さん、この図の原理には、決してそんなスウェーデンボルグ神学(「黙示録解釈」及「アルカナ・コイレスチア」に於いて、スウェーデンボルグは出埃及記およヨハネ黙示録の字義解釈に、牽強附会も甚だしい数読法を用いて、その経典が、後世に於ける歴史的大事変の数々予言せるものとなせり)はないのですよ。狂ったような処が、寧むしろ整然たる論理形式なんです。259-60p
■【天界の秘義・アルカナ・コエレスティア. 邦訳全28巻静思社 刊】
Emanuel Swedenborg Arcana Cœlestia 1749

★私はまた、丁度文字と語から成った文書のように、ただ数字が秩序正しく、連続的に記されてできているところの、天界から来た文書を見たことがあるが、この文書は最内部の天界から来ており、その天界の文書は、そこから思考が流れ下ると、低い天界の天使のもとでは数字で示されるのであり、この数字の文書にも同じくアルカナが含まれていて、その中には思考によっては理解されることもできないし、また語によっても表現されることもできないもののあることを教えられたのである。なぜなら数字は凡て相応しており、語と同じく、相応に従った意味を持ってはいるが、しかも数字には全般的なものが含まれ、語には個別的なものが含まれているという相違があり、一つの全般的なものは無数の個別的なものを含んでいるため、数字の文書は文字の文書よりもさらに多くのアルカナを含んでいるからである。このことから聖書の数字は、語と同じく、事物を意味していることが私に明白となった(略)その数字を取扱った「天界の秘義アルカナ・コエレスティア」の中に見ることができよう。
【天界ととその驚異及び地獄(表紙では「天界と地獄」) 177-8p】イマヌエル・スエデンボルグ 柳瀬 芳意訳 静思社

国立国会図書館近代デジタルライブラリーにて、「天界と地獄」 スエデンボルグ著,鈴木貞太郎訳 英国倫敦スエデンボルグ協会,1910が公開されている。


関連サイト

塩基物アルカロイド

249
▼砂糖や漆喰では、単寧タンニンで沈降する塩基物アルカロイドを、茶と一緒に飲むような訳には参りませんわ。249p
■alkaloid【SSD】
■アルカロイド 主に高等植物体中に存在する、窒素を含む複雑な塩基性有機化合物の総称。ニコチン・モルヒネ・コカイン・キニーネ・カフェインの類。多くはピリジン・キノリン・イソキノリンなどの環状構造をもつ。植物体中では多く酸と結合して塩を形成。少量で、毒作用や感覚異常など特殊な薬理作用を有する。植物塩基。【広辞苑】
関連サイト

錬金術アルケミー

281
▼私はある憎むべき人物が、博士を殺した微妙な方法を知ると同時に、初めて、占星術アストロジーや錬金術アルケミーの妙味を知る事が出来ました。281p

■アルケミーalchemy 古代エジプトに起り、アラビアを経てヨーロッパに伝わった原始的な化学技術。近代化学の基礎がつくられるまで全ヨーロッパを風靡、卑金属を金・銀などの貴金属に変化させたり、不老不死の万能薬を製出したりすることなどを試みた。これらに成功はしなかったが、種々の化学物質を取り扱う技術の発達を促した。【広辞苑】


Symbols in medieval Arabic alchemy from Kitab al-Aqalim by Abu 'l-Qasim al-Oraqi

錬金抒情詩アルケミー・リリック

327
▼所でペンクライク(十四世紀英蘭の言語学者)が編纂した『ツルバール史詩集成』の中に、ゲルベルトに関する妖異譚が載っている。勿論当時のサラセン嫌悪の風潮で、ゲルベルトをまるで妖術師扱いにしているのだが、とにかくその一節を抜萃ぬきだしてみよう。一種の錬金抒情詩アルケミー・リリックなんだよ。327p

「点火術要論アルテ・デ・ラ・ピロマンティ」

647
▼グイド・ボナットー(十三世紀伊太利のファウストと云われた魔術師)の『点火術要論アルテ・デ・ラ・ピロマンティ』 647p

畢宿七星アルデバラン

117,主星アルデバラン458
▼ゲルベルト畢宿七星アルデバランを仰ぎ眺めて
平琴ダルシメルを弾だんず
はじめ低絃ていげんを弾はじきてのち黙す
しかるにその寸後しばしのち
側かたわらの月琴タムブルは人なきに鳴り
ものの怪けの声の如く、高き絃音にて応う
されば傍人かたわらのひと、耳を覆いて遁のがれ去りしとぞ 117p

■aldebaran 雄牛座taurusの最輝星[arab.al-dabaran the following]【SSD]*アレフの項参照
■(「ついて来るもの」の意のアラビア語から)牡牛座の首星。プレアデス星団の後からのぼる。オレンジ色で光度0・8等。【広辞苑】
■ あめふりぼし【雨降り星・〈畢宿〉】 二十八宿の畢(ひつ)宿の和名。牡牛座の顔の部分の七星。

アルノウ

338
■Arnaud de Villeneuve [仏] Arnaldus Villanovanus [羅] (1235頃-1312頃)
■中世の占星学者、錬金術家、医者。スペイン系らしい。アラゴン(スペイン)の宮廷に仕えたが、のちしばらくパリに住んだ。教会に敵視されてシチリア島に流されたが、教皇クレメンス五世の病気の際、招かれてアヴィニヨンに赴く途中で没した。あまり確実でないが《Rosarius philosophorum》《Novum lumen》《Flos folum》《Breviarum practicae》等が、彼の著書とされている。【IB】【122p WSR】

関連サイト

アルノルディン

438
▼所が、アヴリノの『聖僧奇蹟集』を読むと、新旧両教徒の葛藤が最も甚しかった一六二五年から三○年までの五年程の間に、シェーンベルグ(モラヴィア領)のドイヴァテル、ツイタウ(プロシャ)のグロゴウ、フライシュタット(高部オーストリア)のアルノルディン、ブラウエン(サキソニー領)のムスコヴィテス――と都合四人が、死後に肉体から発光したと云う記録を残している。438p

アルビ

379,・教徒379
▼アルビ教徒――南フランス、アルビに起りし新宗教、摩尼教の影響をうけて、新約聖書の凡てを否定したるに依って、法王インノセント三世の主唱に依る新十字軍のために、一二○九年より一二二九年まで約四十七万人の死者を生ずるにいたれり。379p

■Albi 南フランスの町【SSD】
■Albigenses アルビ派(11-13世紀頃フランスの南部で盛んであった反ローマ教会的宗派)【SSD】
■カタリ派Cathari 1213世紀の西欧に広がったキリスト教異端の一派。バルカン地方に起り、その呼称は清浄を意味するギリシア語に由来。マニ教的な善悪二元論の影響を受け、禁欲的・使徒的生活を追求。南フランスではアルビジョワ派と呼ばれた。【広辞苑】

★ローマカトリックの徹底的な殲滅策にもかかわらず、現在でも一部に信奉者が残っているといわれ、最近話題になった「ダヴィンチ・コード」(角川書店2004)や、その元ネタになった「レンヌ・ル・シャトウの謎」(柏書房1997)も関係があるといわれている。

関連サイト  関連サイト

アルファベット

566
▼そこで、pとdとを抱き合せて見給え。アルファベットの中で、てっきり双生児の形が出来るじゃないか、そして、それに第一節の解釈を加えれば、当然pかdかその敦いずれかが、アルファベットのaの位置を占めるに違いないのだ。566-7p
■alphabet【SSD】

アルフェラッツ星

357→アンドロメダ座357
■アルフェラツ Alpheratz(アルフェラトAlpherat) アンドロメダ座にある恒星。アンドロメダ座α星で、学名(バイエル名)はα Andromedae(略称はα And)。アンドロメダ座では最も明るい恒星であり、シラー(SirrahまたはSirah)という固有名もある。
関連サイト  関連サイト

アルペン風の様式

350
▼それを順々に追って行くと、本館の左端と密着して建てられていて、造園倉庫と云う掛札のしてある、シァレー式(瑞西山嶽地方、即ちアルペン風の様式)の洒落しゃれた積木小屋から始まっている。350p
■Alpen アルプスのドイツ語名。【広辞苑】

シァレー

△辞典リスト   △PAGETOP