く04 グーリュとブロー>>>グリージンゲル

グーリュとブロー642→『人格の変換』
グアリノ339→『ナポレオン的面相』ファチス・ナポレオニカ
グイディオン584
グイド・ボナットー647→『点火術要論』アルテ・デラ・ピロマンティ
グスタフ・ファルケ373,450→ファルケ→『樺の森』ダス・ビルケンヴェルドヘン
グスタフス・アドルフス新教徒の保護者・429,瑞典王・429,430,439,龍騎兵王429,
・王446,・王の正伝(を悉く省いて・)600,『・』伝600
「グスタフス・アドルフス」439→ウォルター・ハート→ハルト446
グッテンベルガーマリア・389,390→ハンス・グロス→『マリア・ブルネルの記憶』,・事件435,477
グプラー痳痺205,・の遺伝205→小城魚太郎,キューダビイ壊崩録
楽玻璃グラス・ハーモニカ317, 楽玻離グラス・ハーモニカ562→玻璃の誤植(SML)
グラハムの治療医学201,・の黒鏡魔法ブラック・ミラー・マジック411,413
『筆蹟学』グラフォロジイ388→クレビエ
グラマチクス340→『丁抹史』ヒストリア・ダニカ
大洋琴グランドピアノ589
グリージンゲル304

グーリュとブロー

642→『人格の変換』
▼その幾多の実例が、グーリュとブローの『人格の変換』の中にも記されている通りで、或る種の比斯呈利ヒステリー病者になると、鋼鉄を身体に当てて、その反対側に痲痺を起す事が出来るのだ。642p

グアリノ

339→『ナポレオン的面相』ファチス・ナポレオニカ
■L.Gualino イタリア野戦病院の病院長?規律違反から処罰された兵士の心理状況に関する論文など、心理学関係の論文あり。
【The Psychophysiology of the Condemned ,E. B. T., The American Journal of Psychology, Vol. 32, No. 4 (Oct., 1921), pp. 598-599 (article consists of 2 pages) ,Published by: University of Illinois Press】

★『ナポレオン的面相』ファチス・ナポレオニカは、E.AUDENTINO & L.GUALINO. LA." FACIES NAPOLEONICA". (Atti del V Congresso di Psicologia, Roma. 1906; S. 674). の論文と思われる。
抄録が雑誌『Epilepsia』"ANALYSE DES TRAVAUX ORIGINAUX"Volume A1 Issue 1, Pages 272,Published Online: 5 Nov 2007に出ている。内容は、ナポレオンの顔は一部の癲癇患者の顔と同様の特徴を有するといった、人相と精神疾患に関するもののようだ。
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★グアリノの論文は、上記以外には、GUALINO L, Psicofisiologia dei fucilandi, Rivista di Psicologia, 1920.

グイディオン

584
▼いいえ、私がもしグイディオン(ドルイド呪教に現れた、暗視隠形に通じていたと云われる大神秘僧)でしたら、或は知っていたかも知れませんわ」584p
■Gwydion 島のケルト神話において女神ダヌの息子で知恵と魔法の神。妹でもあるアリアンロッドを妻に持つ。「ダヌの一族」の精神的主導者であり、また魔法の達人でもあった。
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グイド・ボナットー

647→『点火術要論』アルテ・デラ・ピロマンティ
▼それは、一口に云えば遊戯的感情――一種の生理的洗滌カタルシスさ。人間には、抑圧された感情や乾き切った情緒を充すものとして、何か一つの生理的洗滌が要求される。ねえ支倉君、ザベリクス(若きファウストと呼ばれ、十六世紀の前半、独逸国内を流浪した妖術士)やディーツのファウスチヌス僧正などが精霊主義オクルチスムスに堕ち込んだと云うのも……。凡て、人間が力尽き反噬はんぜいする方法を失ってしまった際には、その激情を緩解するものが、精霊主義オクルチスムスだと云うじゃないか。それにあの畸狂変態ききょうへんたいの世界を作り出した種々いろいろな手法には、さしずめ、書庫にあるグイド・ボナットー(十三世紀伊太利のファウストと云われた魔術師)の『点火術要論』やヴァザリの『祭礼師と謝肉祭装置』などの影響が窺われるね。647p
■グイド・ボナッティBonatti, Guido(Guido Bonatus de Forliuio)(1300頃死去) フリードリッヒ2世に仕えた占星術師。中世占星術師の中で最重要人物。フローレンス、シエナ、フォリを術によって救った。Liber Astronomicus を記す。

★占星術は十三世紀になると、突然非常に強力にイタリア人の生活の前景に現れる。皇帝フリードリヒ二世はお抱えの占星術師手小渡留守を連れて歩くし、エッツェリーノ・ダ・ロマーノは高給で雇ったその種の人々から成る宮廷をそっくり従えているが、その中には有名なグイード・ボナットや長いひげをはやしたサラセン人、バグダッドのパウルスなどがいる。エッツェリーノが重大な企てをする時には、いつもかれらがその日時を決定しなければならなかったし、エッツェリーノの命令で犯された大量の残虐行為のかなりの部分は、かれらの予言からのたんなる推断にもとづいていたものと思われる。王侯だけではなく個々の市自治体[例えばフィレンツェ。そこでは右にあげたボナットが、その役をつとめていた。]も正規の占星術師を雇っておくし、諸大学には十四世紀から十六世紀まで、この妄想科学の専門の教授が、しかも本来の天文学者とならんで任命される。
【ブルクハルト「イタリア・ルネサンスの文化」 中公パックス 世界の名著56 Y 風俗と宗教  古代的迷信と近代的迷信のもつれあい534p】

★ボナット、ボナタス、ボナッティとも呼ぶ。占星術家であり同時に皇帝から信頼された戦術家であったため、文中のような「火術書」など書いていた可能性もあるが、現存する著書はLiber Astronomicusのみ。また、ピロマンティpyromanty(一般的にはpyromancy)とは、かつて古代ギリシャで重要とされ、ルネッサンス魔術界では、七大魔術(The seven artes magicae or artes prohibitae)の一つに挙げられている点火術であるため、その点でも可能性は低い。

★ダンテ「神曲」地獄篇 Canto XX 118-120
Vedi Guido Bonatti; vedi Asdente,
ch'avere inteso al cuoio e a lo spago
ora vorrebbe, ma tardi si pente.

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グスタフ・ファルケ

373,450→ファルケ →『樺の森』ダス・ビルケンヴェルドヘン
▼「たしか、グスタフ・ファルケの『樺の森ダス・ビルケンヴェルドヘン』では」
■Gustav Falke(1853-1916) ドイツ・リューベック生まれ。19世紀後半および20世紀前半の新しい叙情詩人の間で著名なドイツの詩人および小説家。ハンブルク在住時には書店員や音楽教師として務め、後に文筆に専念。民謡とロマン派詩人に強く影響を受け、純粋な日常の喜びをシンプルな語彙で表現した。

★「樺の森」Das Birkenwäldchen "Hohe Sommertage Neue Gedichte"に収録。
★森鴎外訳詩集『蛙』(森林太郎名義 玄文社1919)には、Gustav Falkeの「泥より空へ」「常談」「遣つて見ろ」「子供の詩」「不貪生」が収録されている。また、『文豪怪談傑作選 森鴎外集 鼠坂』森鴎外/東雅夫編(ちくま文庫)には「常談」が収録されている。

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グスタフス・アドルフス

新教徒の保護者429,瑞典王429,430,439,龍騎兵王429,・王446,・王の正伝(を悉く省いて・)600
▼(註)一六三一年瑞典王グスタフス・アドルフスは、独逸新教徒擁護のために、旧教聯盟とプロシヤに於いて戦い、ライプチッヒ、レッヒを攻略し、ワルレンシュタインの軍とリュツエルンにて戦う。戦闘の結果は彼の勝利なりしも、戦後の陣中に於いてオッチリーユが糸を引いた一軽騎兵のために狙撃せられ、その暗殺者は、ザックス・ローエンベルグ侯のためその場去らずに射殺せらる。時に、一六三二年十二月六日。429-30p
■Gustavus Adolphus(1594-1632) 〈北方の獅子〉又は〈雪王〉と呼ばれる.ヴァレンシュタインと戦場に会し,リュッツェンの会戦に勝利を得たが(1632)重傷を負って戦没した.【IB】

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「グスタフス・アドルフス」

439→ウォルター・ハート→ハルト446,『グスタフス・アドルフス』伝600→『略-伝』【教養文庫解題505】
■The history of the life of Gustavus Adolphus, King of Sweden,Walter Harte 1759
■The history of Gustavus Adolphus, king of Sweden, surnamed the great,Walter Harte, Gustavus
★原文テキストはこちら
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グッテンベルガー

マリア・389,390→ハンス・グロス→『マリア・ブルネルの記憶』,・事件 435,477
▼註)ハンス・グロス*の『予審判事要覧』の中に、潜在意識に関する一例が挙げられている。即ち一八九三年三月、低バイエルン、ディートキルヘンの教師ブルネルの宅に於いて、二児が殺害され、夫人と下女は重傷を負い、主人ブルネルが嫌疑者として引致されたと云う事件である。所が、夫人は覚醒して、訊問調書に署名を求められると、マリア・ブルネルとは記さずに、マリア・グッテンベルガーと書いたのであった。然し、グッテンベルガーと云うのは、夫人の実家の姓でもなく、しかもそれなりで、夫人は記憶の喚起を求められても、その名に付いては知る所がなかった。つまりその時以来、意識の水準下に没し去ったのである。所が、調査が進むと、下女の情夫にその名が発見されて、直ちに犯人として捕縛さるるに至った。即ち、マリア・グッテンベルガーと書いた時は、兇行の際識別した犯人の顔が、頭部の負傷と失神に依って喪失されたが、偶然覚醒後の朦朧状態に於いて、それが潜在意識となって現われたのである。389p
■Martha Guttenberger,Martha Brunner ハンス・グロス『犯罪心理学』Hans Gross Kriminalpsychologie (Criminal Psychology), 1898. の記載による表記。

★此の事實の實例として忘るべからざるは、ブルンナー事件なり。一八九三年バイェルンのディートキルヒェン町に於て、ブルンナーの二子が殺害せられ、其の妻と下婢とは、重傷を負はされたり。一時氣絶したる其の妻は、程なく蘇生し、何事か言はんとするやうなりしも、犯罪人に關する事柄を、豫審判事に語る能はざりき。判事が消極的調書を作りたる時に、彼女は其の姓名たるマルダ・ブルンナーと署名せずして、マルタ・グッテンベルガーとなせり。幸にして、判事は此の事實に心付きグッテンベルガーなる名に關したることを聞諮したるに、そは下婢の以前の情夫の名なること明白となれり。斯くて共の情夫は追究せられ、遂に捕はれて、眞の犯罪人たることを目白せり、而して其のブルンナー夫人が全快したる時には、某の犯罪人が確にグッテンベルガーなることを明らかに認むるに至れり。即ちグッテンベルガーの犯罪人たることは、全く意識以下に沈みて、單にグッテンベルガーのみが、犯罪に或關係あるものとして意識に現れたるなり。斯くて負傷して衰弱せる夫人は、其の事實を十分説明する能はざりしも、犯罪人の名のみが無意識に書き現されたるなり、【犯罪心理學 大日本文明協会第三期刊行書T4.3.10】

★ハンス・グロス『犯罪心理学』の原文テキストはこちら

グプラー痳痺

205・の遺伝,205→小城魚太郎,キューダビイ壊崩録
▼所が小城魚太郎は、到底運命説しか通用されまいと思われるその三事件に、科学的な系統を発見した。そして、こういう断定を下している。結論は、閃光的に顔面右半側に起る、グプラー痳痺の遺伝に過ぎないという。205p

■椎骨脳底動脈系の閉塞では,視力障害,小脳性の運動失調,不随意運動やさまざまな脳神経障害を生ずる。とくに脳幹部の障害では反対側の運動機能を支配する錐体路と同側へ分布する脳神経とが同時に障害されるため,片麻痺のある側と反対側に脳神経麻痺を示す交代性片麻痺という特異な症状を呈することがある。なかでもウェーバー症候群 Weber’s syndrome(上交代性片麻痺,病変側の眼球運動障害と反対側の半身麻痺)やミヤール=ギュブレル症候群 Millard‐Gubler’s syndrome(下交代性片麻痺,病変側の顔面神経麻痺と反対側の上下肢麻痺)は有名である。また,延髄外側部の障害ではワレンベルグ症候群 Wallenberg’s syndrome といわれる多彩な症状を呈する。【大百科】

■Millard−Gubler(ミヤール・ギュブレル)症候群 舌下神経交代性麻痺。
1)右顔面神経麻痺 2)左運動片麻痺 3)右外直筋麻痺(右外転神経麻痺)を伴う。
★ただし、遺伝性疾患ではないようだ。
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楽玻璃グラス・ハーモニカ

317,楽玻離グラス・ハーモニカ562→玻璃の誤植【SML】
▼おまけに、黄道上の星宿が描かれている、絵齣の一つ一つが、本板から巧妙な構造で遊離しているので、その周囲には、一辺を除いて細い空隙が作られ、しかも、空気の波動につれて微かに振動する。それが何となく楽玻璃のようでもあるが、とにかく、その狭間を通過する音は、恐らく弱音器でもかけられたように柔げられるであろうから、鐘鳴器特有の残響や、また、協和絃をなしている音ならば、どんなに早い速度で奏したにしても、或る程度までは混乱を防ぎ得るのである。317p

■glass harmonica 擦り鳴らす楽器でも、最も頭脳的なのは1763年、アメリカのベンジャミン・フランクリンの発明したグラス・ハーモニカglass harmonicaで、原理は塗れ手で皿の縁をなでると美しい音のでることは、誰でも経験のあることだが、フランクリンはこれに着目し、大小20数枚の食器皿を心棒に通して、これをペダルで廻転しながら、演奏するように設計した。のち18世紀の末には鍵盤がつけられ、全音階4オクターブに及ぶものも作られ、これは単にハーモニカの名で呼ばれていた。これにはモーツァルトなどの作曲もあるという。【楽器事典】

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グラハム

・の治療医学201,・の黒鏡魔法ブラック・ミラー・マジック411,413
▼で、結局十二人は異端焚殺に逢ってしまったのだが、ウイチグスのみは秘かに遁れ、この大技巧呪術書を完成したと伝えられている。それが後年になって、ボッカネグロの築城術やヴォーバンの攻城法、また、デイやクロウサアの魔鏡術やカリオストロの煉金術、それに、ボッチゲルの磁器製造法からホーへンハイム*やグラハムの治療医学にまで素因をなしていると云われるのだから、驚くベきじゃないか。201p
▼「そうすると貴方は、デイやグラハムの黒鏡魔法を御存知でしょうか」411p

★果たしてこれがそうかは不明だが、いかさまっぽい医療ということで、
十八世紀になってロンドンのジェームス・グラハムがカグリオストロの寝台を復活させた、然しこれはカグリオストロとは他の別の方針に沿ふものであった。一七七九年に彼はロンドンに於て『健康院』と云ふものを開いた。【「古代醫術と分娩考」巴陵宣祐譯著 武侠社 昭和六年四月二十九日刊】
★Graham's Celestial Bed
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『筆蹟学』グラフォロジイ

388→クレビエ
▼如何にも乙骨君、僕は伸子の自署が欲しかったのだ。と云って、何も僕はロムブローゾじゃないのだからね。水精ウンディーネや風精ジルフェを知ろうとして、クレビエの『筆蹟学グラフォロジイ』までも剽窃する必要はないのだよ。388p

■筆跡に関係した理論的・実際的な研究の総称。筆跡鑑定などを含める。性格と筆跡との関係の研究。筆跡に基づき、書き手の性格や心理を研究する学問。【広辞苑】
■L'ABC de la graphologie (1929), PUF, 1960,Jules Crépieux-Jamin
■La graphologie en exemples (1898), Larousse, Paris,Jules Crépieux-Jamin
■フランスのミション Jean‐Hippolyte Michon(1806‐81)によりグラフォロジー graphologie という名称が初めて与えられ(1871),クレピュー・ジャマンJules Crepieux-Jamin(1858‐1940)により理論的発展をみた。
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グラマチクス

340→『丁抹史』ヒストリア・ダニカ
■Saxo Grammaticus(1150頃-1220頃) 中世デンマークの歴史家。Gesta Danorum『デンマーク人の事績』全16巻を編纂した。

★通常はGesta DanorumだがHistoria Danicaとも呼ばれている。
★『デンマーク人の事績』は、シェイクスピア悲劇『ハムレット』の基になったとされている。『ハムレット』は『デンマーク人の事績』の3巻から4巻で語られているデンマークの王子の物語と酷似しており、また主人公「ハムレット」(Hamlet)の名前は『デンマーク人の事績』における主人公「アムレート」(Amleth、英語版)のアナグラムと考えられている。

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大洋琴グランドピアノ

589
▼そうしたら屹度きっとあの男は、僕等の帰った頃を見計って、横廊下に当る聖趾窓ピイド・ウィンドウから抜け出すだろう。そして、大洋琴グランド・ピアノの中にでも潜り込んで、それから催眠剤を嚥むに違いないのだよ。589p
■grand piano【SSD】

グリージンゲル

304
▼「いや、結果は充血でなくて、反対に脳貧血を起すのだよ。おまけに、グリージンゲルと云う人は、それに癲癇様てんかんようの痙攣けいれんを伴うとも云っているんだ」304p

■グリージンガーWilhelm Griesinger(1817‐68)  ドイツの精神医学者。シュトゥットガルトに生まれ,1834年よりチュービンゲン大学,のちにチューリヒ大学で医学を修めた。反射生理学をもとにして,反ロマン主義的な精神医学の確立に貢献した。主著《精神病の病理学および治療法》(1845)は,その後2ヵ年ほど勤務したにすぎなかったウィンネンタール精神病院での体験をもとにして書かれたものであった。彼はコレラ,チフス,ペストなどにくわしい内科医でもあった。【大百科】
■Wilhelm Griesinger German psychiatrist and neurologist, born July 29, 1817, Stuttgart; died October 26, 1868.Associated eponyms:Aran-Duchenne spinal muscular atrophy

★しかしながら、精神機能の座は脳にあり、ゆえに精神疾患は脳の疾患であるという主張は、当時としても、まだ仮説の域を出ていない。グリージンガー自身、脊髄-感覚-運動の反射とは異なり、脳-表象、欲動の方は、まだ実証的に確かめられていないことを認めている。また、脳の解剖所見も、精神疾患=脳疾患と断言するのに十分な根拠を与えていない。一九世紀半ばに精神病と見なされた人たちの二割から三割が、梅毒による進行麻痺と言われており、この進行麻痺は確かに脳に器質的な変化をもたらす。だから、いくつかのケースで脳の病変が確認できたのは事実だろう。しかし、グリージンガー自身、先の箇所で述べているように、脳の病変が確認できたのは「多くの」場合であって「すべて」ではない。そういう意味で、グリージンガーは、まだ憶測で物を言っているのである。(中略)
 たとえ仮説としてではあれ、精神疾患を脳の疾患という形で身体に根づかせることは、精神を病んでいるとされた者一人一人の身体を、あるいはその現存在を、それ自身の厚みにおいて把握する道筋を開く。ここで身体は、それ自身、透明で、その先に身体以外の何かが見通せるようなものであることをやめ、また、身体以外の何かの表象=代理(リプレゼンテーション)であることをやめる。このことは、グリージンガーがヴンダーリッヒらとともにおこなった、病の「実体論」批判とも深く関係しているだろう。つまり、病の「実体」が想定されることで、個々の病める身体が素通りされ、そして抽象的な思弁が開始されることをグリージンガーらは批判し、医学的な眼差しを、個々の身体の厚みに連れ戻そうとしたのである。
【「医療という装置――W・グリージンガーの精神医学」栗原彬・小森陽一・佐藤学・吉見俊哉 編『装置:壊し築く』(越境する知・4)東京大学出版会 138-140p】

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