あ02 抑揚格アイアムバス>>>手風琴アコーディオン

抑揚格アイアムバス397
古愛蘭アイリッシュ315,半大字形アイリッシュ231
愛蘭土星学
アイリッシュ・アストロノミー
644
愛蘭土僧の建設したる寺院353→聖ガル寺
アイワ゛ソウフスキー227
その悲しめる旅人は伴侶を見出せり
アイン・リュベル・ワンドラー・フィンデット・ヒエル・ゲノッセン
374
アインシュタイン260
開緒アインライツング392,序幕アインライツング614,序文アインライツング614
アウグスチン尼僧368
アウフレヒト338
幻視アウロラ386
『阿叱嚢胝経』アウンナテイ339
鄯善族アヴァシンぞく408
アヴリノ229,438,616,→『聖僧奇蹟集』229,438『聖僧奇軌跡集』616
アカンザス・の拳葉348,・形をした台598
十六世紀鎗アガサイ463
宝瓶宮の水瓶形アクアリウス458
強音アクセント397
軽業的アクロバチックに弄ぼうとする450
アグリッパ338
異教徒の凶律に対し、また女人鍛工及びドルイド呪僧の呪文に対して
アゲンスト・ブラックロウス・オブ・ゼ・ヒイズン・エンド・アゲンスト・ゼ・スペルス・オブ・ウィメン・スミス・エンド・ドルイズ
582→聖パトリック
手風琴アコーディオン330

抑揚格アイアムバス

397
▼所でバーベージ(エドマンド・キーン以前の沙翁劇名優)は、沙翁シェークスピアの作中に律語的な部分、即ち希臘ギリシャ式量的韻律法が多いのを指摘していますね。つまり、一つの長い音節シラブルが、量に於いて二つの短い音節シラブルに等しいと云うのが原則で、それに、頭韻アリテーション・尾韻エンドライム・強音アクセントなどを按配した抑揚格アイアムバスを作って、詩形に音楽的旋律を生んで行くのです。397p
■iambus【SSD】弱強格
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古愛蘭アイリッシュ

315, 半大字形アイリッシュ231
▼のみならず、Sylpheジルフェの女性をそれにもまた男性化しているばかりでなく、再び古愛蘭アイリッシュのような角張ったゴソニック文字で、それには筆者の性別は愚かなこと毛のような髯線ぜんせん一筋にさえ、筆蹟の特徴を窺う事は許されなかったのである。315p
▼だが、珍らしく古風な書体だな。まるで、半大字形アイリッシュか波斯文字ネスキーみたいだ。でも君は、これが被害者の自署だという証明を得ているのかい 231p

■Irish【西洋美術史・石井訳】

8世紀後半のアイルランド文字
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愛蘭土星学アイリッシュ・アストロノミー

644
▼と云うのは、ラインハルトの『抒情詩の快不快の表出』と云う著述の中に、ハルピンの詩『愛蘭土星学アイリッシュ・アストロノミー』の事が記されてある。その中の一句――聖パトリック云いけらくセント・パトリック・セエッド獅子座彼処にあり・エ・ライオン・ライス・ゼア、二つの大熊・ツウ・ベアス・、牡牛エ・ブル、そうして巨蟹が・エンド・キャンサー――とその巨蟹キャンサー(Cancer)と云う個所ところに来ると、朗読者は突然、それを運河キャナラー(Canalar)と発音してしまったと云うのだ。644p

■IRISH ASTRONOMY  by Charles G. Halpine
全文掲載はこちら。以下、引用相当箇所。

St. Patrhick said, "A Lion's there,
Two Bears, a Bull, and Cancer"--

"Bedad," says Mick, "the huntin's rare,
St. Pathrick, I'm your man, sir!"

★Charles Graham Halpine (1829-1868), アイルランド系移民としてアメリカで活躍したジャーナリスト、コピーライター、陸軍将校。
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愛蘭土僧の建設したる寺院

353→聖ガル寺
▼大体に於いて、聖サンガール寺院(瑞西コンスタンス湖畔に六世紀頃愛蘭土僧の建設したる寺院)や、南ウェールスのペンブローク寺アベイなどにも現に残存している、露地式葬龕カタファルコを模したものであったが、それには、著るしい異色が現われていた。353p

★「ザンクト・ガレン修道院」はアイルランドから来た聖ガルスが613年に設立したものが母体となっている。
 聖ガル
 サンクト・ガレン修道院
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アイワ゛ソウフスキー

227
▼そう云って熊城は、寝台の下から銀製の大皿を取り出した。直径が二尺に近い盞形さかずきがたをしたもので、外側には露西亜ルッソビザンチン特有の生硬な線で、アイワソウフスキーの匈奴フン族馴鹿トナカイ狩の浮彫が施されていた。皿の底には、空想化された一匹の爬虫類が逆立していて、頭部と前肢が台になり、刺の生えた胴体がくの字なりに彎曲して、後肢と尾とで皿を支えている。そして、そのくの字の反対側には、半円形の把手にぎりが附いていた。227p

■Aivasovskii, Ivan Konstantinovich (1817-1900)ロシアの海洋画家【IB】
■イアン・アイヴァゾフスキーIvan Konstantinovich Aivazovsky (1817-1900)はウクライナ生れのロシアの画家。民族的にはアルメニア人。海の風景を中心に生涯6000枚にも及ぶ作品を残した。
★試しにこの画家の作品を引くが、本文中の記述とはいかにもかけ離れている。同名の考古学者でも存在するのだろうか。

Seacoast at Night. At a Beacon, 1837
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ロシア製の銀皿の一例

その悲しめる旅人は伴侶を見出せり
アイン・リュベル・ワンドラー・フインデット・ヒエル・ゲノッセン

374→レーナウ『秋の心』ヘルプスト・ゲフュール
▼所でレヴェズさん、勿論それまでには、その悲しめる旅人は伴侶を見出せりアイン・リュベル・ワンドラー・フインデット・ヒエル・ゲノッセン――なんでしたからな 374p

■Herbstgefühl  Nikolaus Lenau

Der Buchenwald ist herbstlich schon gerötet,
So wie ein Kranker, der sich neigt zum Sterben,
Wenn flüchtig noch sich seine Wangen färben;
Doch Rosen sind's wobei kein Lied mehr flötet.
Das Bächlein zieht und rieselt, kaum zu hören,
Das Tal hinab, und seine Wellen gleiten,
Wie durch das Sterbgemach die Freunde gleiten,
Den letzten Traum des Lebens nicht zu stören.

Ein trüber Wandrer findet hier Genossen;
Es ist Natur, der auch die Freuden schwanden,
Mit seiner ganzen Schwermut einverstanden,
Er ist in ihre Klagen eingeschlossen.

★ニコラウス・レーナウNikolaus Lenau 本名Nikolaus Franz Niembsch Edler von Strehlenau(1802-1850)
19世紀前半のオーストリア=ハンガリーのドイツ語圏の詩人。ハンガリーの農村Csatadに生まれる。ウィーンその他の地で気まぐれな学生生活を送る。そののちシュツッツガルトにおもむき、シュバーベン派の晩期ロマン派詩人たちと交際し、最初の詩集(1832)を出す。理想の地を求めてアメリカに旅立ったが、失望して一年で戻り、その後はウィーンとシュツッツガルトを行き来しつつ、詩作に専念した。1844年には狂を発し、死までの6年間を精神病院に送った。

アインシュタイン

291
▼最初反太陽説の方から云うと、アインシュタインは、太陽から出た光線が球形宇宙の縁へりを廻って、再び旧もとの点に帰って来ると云うのです。そして、そのために、最初宇宙の極限に達した時、そこで第一の像を作り、それから、数百万年の旅を続けて球の外圏を廻ってから、今度は背後に当る対向点たいこうてんまで来ると、そこで第二の像を作ると云うのです。然しその時には、既に太陽は死滅していて一個の暗黒星に過ぎないでしょう。つまり、その映像と対称する実体が、天体としての生存の世界にはないのです。291p
■Einstain, Albert(1879-1955)
■『空間・時・及び引力スペース・タイム・エンド・グレヴィテイション』 291
Space, time and gravitatation 1920【IB】

★1925,エディントン[英]及びアダムス[米]シリウス伴星のスペクトル線にアインシュタイン偏倚を発見【SH】
★オランダの物理学者ド・ジッターの提唱によりエディントンが1919年の皆既日食の際、実際に観測してアインシュタインの相対性理論の一部を実証。さらにベルリン郊外ポッツダムに彼の理論を検証するため、アインシュタイン塔(メンデルゾーン作)が建てられた。これは表現主義の数少ない実現した見本である。【SH】
★彼とヴアンスとは、アインシュタインの相対性理論とか、ムールトン・チェンバレンの小遊星仮説とか、ポアンカレの数の理論とかいった、私のような、単なる俗人には、とうてい理解できぬような、高い水準の問題について議論していた。【グリーン家殺人事件260p】

メンデルゾーン、エリッヒ アインシュタイン塔
★表現主義の実在する傑作。ベルリン郊外ポツダムにあります。
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開緒アインライツング

392,序幕アインライツング614,序文アインライツング614
▼つまり、この神経黙劇にとると、最初召使バトラーに導かれて大階段を上って行った時が、抑々そもそもの開緒アインライツングなのでした。392p
▼ああ、あの序幕アインライツング――この恐怖悲劇の序文アインライツング。さてこれから、その朗読をやる事にするかな。614p
■einleitung(独) 手引き,序言,発端,序奏,序曲【SSDD】

アウグスチン尼僧

368
▼暗緑色のスカートに縁紐バンドで縁取りされた胸衣ボディックをつけ、それに肱ひじまで拡がっている白いリンネルの襟布カラー、頭かしらにアウグスチン尼僧が被るような純白の頭布カーチーフを頂いている。368p
■Augustinian【SSD】
■アウグスチノ会 Augustinians 11世紀末に発足したカトリック修道団体の1つ.会則をアウグスチヌスの戒律に求める種々の修道会の総称。ドミニコ会やフランシスコ会、カルメル修道会と並ぶ托鉢修道会として知られる。慶長7年(1602)この一派のアウグスチノ隠修(いんしゅう)士が来日、現在も長崎を根拠地に伝道を行っている。

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アウフレヒト

338
■Aufrecht, Theodor (1822-1907) ドイツの言語学者、サンスクリット学者 【IB】
■テオドール・アウフレヒト(1822-1907) プロシア・シレジア生まれ。ベルリンで教育を受けた後、オックスフォードのボドリアン図書館でサンスクリット語の研究に従事。エジンバラ大学でサンスクリット学の教授となり、その後ボン大学に移って膨大なサンスクリット語蒐集の結果をカタログとして発表した。
主要な著作
"Die Sanskrit-Handschriften d. k. Hof- und Staatsbibliothek in Munchen"
Aufrecht, Theodor. - Munchen : Palmsche Hofbuchh., 1909
"Katalog der Sanskrit-Handschriften der Universitats-Bibliothek zu Leipzig"
Aufrecht, Theodor. - Leipzig : Harrassowitz, 1901
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幻視アウロラ

386
▼そうなんだ。事に依ると、自分がナポレオンになるような幻視アウロラを見ているかも知れないが、先刻さっきから僕は、一つの心像的標本を持っているのだ。君はこの事件に、ジーグフリードと頸椎――の関係があるとは思わないかね 386-7p
■Aurora 曙、黎明【SSDD】【神秘主義・クセジュ】
■Aureole (特に高徳の者に与えられる)天国の栄冠.後光.光輪.光背(→halo,glory,nimbus)【SSD】

『阿叱嚢胝経』アウンナテイ

339
▼暹羅シャム皇帝勅刊の『阿叱嚢砥経アウンナテイ』339p
★『阿叱嚢胝経』【潮】→『阿口它嚢胝アタナテイ経』〔原名『アーターナーティヤ・スッタンタ』、漢訳経題『阿口它那智経』。〕【教養文庫解題487】
★阿曩胝経(Atanatiya-suttanta アーターナーティヤ・スッタンタ)の日本語版はこちらで読めます。

鄯善族アヴァシンぞく

408
▼五世紀鄯善アヴァシン族(印度西域の民族。六世紀の末突厥人のためにコーカサスに逐い込まる)の椀形刻計儀 408-9p
■鄯善(ゼンゼン)は、ロプ湖の西南にあった町【世界史地図】鄯善にローランのルビあり
■【玄奘三蔵 岩波新書 前嶋】【樓蘭 平凡社東洋文庫 参照】

★柔然族〈アヴァールぞく〉西域の民族。〔後略〕
〔「割注」に適合するよう訂正。「柔然(じゅうぜん)」は、記載書や活動年代の違いにより、「苪苪ぜいぜい」「茹茹じょじょ」「蠕蠕ぜんぜん」と音写された。この最後のものと音の通ずるのが、「鄯善(ぜんぜん)」である。しかし、漢魏以後は現れず、「柔然〜蠕蠕」との同定が確認できないから、この族名をここに当てるのは不穏当である。また、「アヴァシン」については、「アヴァール」の「ール」を平仮名の「しん」と誤読し、それが再び片仮名に直され、「シン」というルビが生じたと憶測される。さて、「柔然(アヴァール)」はインドに侵入しないから、「印度」は削る。〕【教養文庫解題495】

アヴァール族の兵士
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アヴリノ

229,438,616→『聖僧奇蹟集』229,438『聖僧奇跡集』616
▼所が、アヴリノの『聖僧奇蹟集』を読むと、新旧両教徒の葛藤が最も甚しかった一六二五年から三○年までの五年程の間に、シェーンベルグ(モラヴィア領)のドイヴァテル、ツイタウ(プロシャ)のグロゴウ、フライシュタット(高部オーストリア)のアルノルディン、ブラウエン(サキソニー領)のムスコヴィテス――と都合四人が、死後に肉体から発光したと云う記録を残している。438p
▼所で、アヴリノの『聖僧奇跡集』を見ると、ベーコンがギルフォードの会堂で、屍体の背に精密な十字架を表わしたと云う逸話が載っている。616p

★イタリアの証聖人アヴェリノSaint Andrew (Andrea) Avellino(1521-1608)が同名で、1731年に全五巻の彼の書簡集がナポリで発行されているが、『聖僧奇蹟集』の年代と合致しない。また屍光に関する記述のある当該書も存疑不詳。
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アカンザス

・の拳葉348,・形をした台598→アカンサス【教養文庫解題489】
▼その窓の外側には、アカンザスの拳葉けんようで亜刺比亜模様アラベスクが作られている、古風な鉄柵縁が張り出されてあった。348p
▼図書室の中には、アカンザス形をした台のある燭台が、ポツリと一つ点されているのみで、その暗鬱な雰囲気は、著作をする時の鎮子の習慣であるらしかった。598p
■acanthus 薊の葉に似た地中海地方産の草木【SSD】

acanthusをモチーフにした門

acanthus arabesque pattern

十六世紀鎗アガサイ

463
★アサガイassegai,assagai 投擲用の槍で、木製の柄に鉄製の先端部がついている。アフリカからイベリア半島に持ち込まれたもので、中世後半特に14世紀カタロニアの傭兵が効果的に使用した。アサガイの名は、アフリカ・バンツー族が好んで槍に用いた木の名前に由来する。
虫太郎は、アサガイをアガサイと間違って使用した可能性大。

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宝瓶宮の水瓶形アクアリウス

458
▼そして、最後の宝瓶宮アクアリウスの水瓶形がタウとなって、それで、形体的解読の全部が終るのである。458p
■Aquarius 黄道上の第一二星座。山羊座(ヤギザ)の東、魚座(ウオザ)の西にある。古代ローマで、太陽がこの座を通る時(二月下旬)が雨季に相当するとされた。

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強音アクセント

397
▼それで、貴方の神経運動を吟味しようと試みたのですが、遂々とうとうその中から、一つの幽霊的な強音アクセントを摘み出しましたよ。397p
■accent【SSD】

軽業的アクロバチックに弄ぼうとする

450
▼「それが、樺の森ダス・ビルケンヴェルドヘン(グスタフ・ファルケの詩)さ」と法水は無雑作に云い放って、いつか三人の異国人の前で吐いた奇言を、此処でもまた軽業的アクロバチックに弄ぼうとする。450p
■ acrobatic 【SSD】
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アグリッパ

338
■Agrippa von nettesheim, Cornelius Heinrich (1486-1535) ドイツの医者、哲学者。初め神学を教授していたが、イタリアに赴いて法学、医学を修めた。ピコおよびロイヒリンの影響をうけて《De incertitudine et vanitate scientiarum 1527》を著し、当時の学問を痛烈に風刺した。彼はカバラ的な神秘思想を懐いて自然の霊化を説き、四大(地水火風)のほかに第五元素として世界精神をあげ、かつ秘術的な実践をも行った。
[主著] De occulta philosophia 1510【IB】

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異教徒の凶律に対し、アゲンスト・ブラックロウス・オブ・
また女人鍛工及びドルイド呪僧の呪文に対して
ゼ・ヒイズン・エンド・アゲンスト・ゼ・スペルス・オブ・ウィメン・スミス・エンド・ドルイズ

582→聖パトリック ▼突き当りの石扉の奥が屍室ししつで、その扉ドア面には、有名な聖セントパトリックの讃詩ヒム――「異教徒の凶律に対し、アゲンスト・ブラックロウス・オブ・ゼ・また女人鍛工及びドルイド呪僧の呪文に対してヒイズン・エンド・アゲンスト・ゼ・スペルス・オブ・ウィメン・スミス・エンド・ドルイズ」――の全文が刻まれていた。582p

■DEER'S CRY or Patrick's breastplate《甲冑の胸当て》
ST.PATRICK (Atrributed. 7th century) 抜粋

I summon to-day all these powers between me and those evils,
Against every cruel merciless power that may oppose my body and my soul,
Against incantations of false prophets,
Against black laws of pagandom,
Against false laws of heretics,
Against craft of idolatry,
Against spells of women and smiths and wizards,
Against every knowledge that corrupts man's body and soul.
【1000YEARS OF IRISH POETRY 1975】

I invoke today all these virtues
Against every hostile merciless power
Which may assail my body and my soul,
Against the incantations of false prophets,
Against the black laws of heathenism,
Against the false laws of heresy,
Against the deceits of idolatry,
Against the spells of women, and smiths, and druids,
Against every knowledge that binds the soul of man.

Catholic Encyclopedia, Volume XI Copyright c 1911 by Robert Appleton Company
Online Edition Copyright c 1999 by Kevin Knight】

★聖パトリックの作品といわれる長編詩の一節。
下段の戦前版カトリック大辞典にdruidsの訳がありました。

★この詩は「聖パトリックの鎧の胸当て」という邦題で少年聖歌隊ボーイズ・エアー・クアイアなどが歌っています。試聴サイト
 聖パトリック
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手風琴アコーディオン

330
▼それから近世になって、伊太利イタリーの大霊媒ユーザピア・パラルディノが、金網の中に入れた手風琴アコーディオンを動かしたけれども、肝腎の音色に就いては、狂学者フラマリオンすら語るところがないのだ 330p
■Accordion【SSD】

★ユーザピア・パラディーノEusapia Palladino(1854-1917) イタリア、フランス、ドイツ、ポーランド、ロシアを巡って降霊会を行った霊媒師。
人体浮遊術から、楽器・机などの浮遊、死者との交信を得意とした。コナン・ドイルも彼女を稀代の霊媒師として認めていたが、アメリカでは手品を使った詐欺と見なされた。手風琴の移動術は、1903年5月13日ミュンヘンにて行われた写真が残されている。


ユーザピア・パラディーノの降霊会。
上の写真中央の中年女性がパラディーノで、その右手に手風琴が置かれている。
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