『チバ時報』について



『チバ時報』最終巻「矢毒特集」表紙(116号 1941/11)

虫太郎に関連する戦前雑誌を少しずつ集め出した頃、既に人文関係は素天堂がほうぼう手を出していたので、自分は科学医学宗教関係という未踏の分野で面白いものを探そうと思った。
『科学画報』『科学知識』『犯罪科学』…といった科学雑誌はたしかに面白いけれど、もう既によく知られた雑誌である。そんな隙間を縫うように現れたのが、一冊の薄い製薬会社広報誌『チバ時報』だった。
当初、チバ=千葉だと思ったし、時報といわれてもピンとこなかった。けれども数冊入手できた頃から、戦前でありながら、この尖端的な特集はなんだろうと首をかしげるようになる。
次号予告をみながら特集を列記してみると、単なる医学薬学の枠を超え民俗学の領域にまで踏み込んだテーマの数々に、驚愕せざるをえなかった。
同時に、二十数ページの薄さとはいえ、美しい図版の数々にも目を瞠った。

もしかしたら、この『チバ時報』の中に、虫太郎の広範な医学薬学知識、さらには科学から民俗学宗教学史学へと連なる輪がの一つでも解明できるのではないかと、俄然蒐集熱の躍起に拍車がかかる。
結果的には、『黒死館殺人事件』初出は昭和9年で、『チバ時報』の大改編と同じ年になってしまっていること、またこの冊子の頒布経路を考えると、直接虫太郎と結びつけるのは難しい状況だとわかったのだが、興味は広がり、2011年冬、小栗虫太郎関連資料集『DUKDUK』創刊、第一回は日本語版最終巻「矢毒」特集を完全復刻することになった。
発行後もチバ熱は収まらず、さらに深いチバ・ジャングルへとわけいることとなったのである。

まず発行元の沿革をみていただく。

チバ社(スイスバーゼル化学工業)の沿革

1758年Johann Rudolf Geigy-Gemuseus(1733-1793)により、
スイス・バーゼルBaselで工業化学、染色、薬品を取り扱う問屋業を始める。
1857年継承者のJohann Rudolf Geigy-Merian (1830-1917) とJohann Muller-Packは、
同地に染色液の工場を設立、合成フクシンの生産を開始。
1901年公開株式会社「ガイギー社」を設立。
1914年株式会社「JRガイギー社」に社名変更。
1939年ガイギー社の Paul Hermann M?llerが、マラリヤ蚊に有効なDDT創成に成功し、
ノーベル化学賞を受賞(1948年)。
 
1859年Alexander Clavel (1805-1873)は同じくスイス・バーゼルにて絹染色のためのフクシン合成を開始。
1873年Clavelは工場をBindschedlerとBuschに売却。
1884年Bindschedlerと Buschは、社名を"Gesellschaft f?r Chemische Industrie Basel"
(Company for Chemical Industry Basel 瑞西バーゼル化学工業)とした。
1945年正式に社名を頭文字からとった、チバCIBA社に変更。
 
1971年チバ社とガイギー社が合併 Ciba-Geigy チバガイギー社となる。
 
1996年チバガイギー社の製薬部門と Sandoz サンド社が合併し、Novartis International ノヴァルティス社となる。
チバガイギー社の染色部門は別会社として独立。
2010年世界第二位の工業売り上げをほこる。

 
"Die Initiation"(通過儀礼)特集号 左:スイス版(102号 1946/7) 右:ドイツ版(88号 1958)

『チバ時報』のチバ=チバガイギー社(スイスバーゼル社の前身)であり、日本では1952年にチバ製品が設立されるまでは、専らスイスからの輸入代理店が置かれただけに過ぎなかったようだ。
よって、日本版『チバ時報』も当初は商品である薬のPRが前面に押し出されていたが、昭和9年に大幅刷新を行い、本国スイスの特集記事を翻訳し掲載させることになった。

また『チバ時報』には日本版の他に、スイス・バーゼル版、ドイツ・ベルリン(→バーデン)版、米国版の計4種が存在する。勿論、スイス版を基に翻訳として各版が出された部分もあったが、ちょうど第二次世界大戦を挟んでいることもあり、時勢や国柄に合わせた、各版オリジナルの記事も存在する。
この比較を行なってみると実に面白いので、各版の特集内容はもとより、比較表や美しい表紙図版(次回更新予定)も見ていただけると幸いです。


  ■日本版『チバ時報』書誌 (No.57-116, 1934-1941)
  
  ■スイス版 Bibliography of "Ciba Zeitschrift" in Basel (Nr.1-132, 1933-1952)
  
  ■ドイツ版 Bibliography of "Ciba Zeitschrift" in Berlin, Wehr/Baden (Nr.1-101, 1934-1963)
  
  ■米国版 Bibliography of "Ciba Symposia" in USA (Vol.1-11, 1939-1951)



多色刷になった戦後のアメリカ版 "Ciba Symposia" 
左から大麻特集(8-5,1946/8-9), 割礼特集(8-7,1946/10),初期心理学特集(9-1,1947/4-5)

2012.3.14 絹山絹子 記



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