素天堂のウィーン旅行 2003 その2

6/12

まるで日常のように目が覚める。言葉の分からないTVモニターを見つつ当日の予定を考える。
自分のウィーンに関するイメージといえば映画「会議は踊る」の脳天気と「愛の嵐」の死と一体化した大変態くらいしか思いつかない。勿論現実のウィーンの街をリリアン・ハーヴェイが歩いているはずもなく、自分のホテルのフロントがダーク・ボガードだったりするわけではない。

が、地図を見て気になったのが自分のホテルの近くの道が VOLKSOPER 方面と書いてあるのだ。市街地図では区域外にあるそこは、自分が初めてオペラ「魔笛」を映画「愛の嵐」で見た舞台だったはずだ。
一箇所くらいは名所をと今日の予定を組んだ。今日はバスと地下鉄を乗り継いで VOLKSOPER からシェーンブルン宮殿を見に行くことにする。
ホテルの近所のバス停からその方面行きのバスに乗る。そこは著名なフランス語学校とかで登校時間にスクールバスやら送迎の車でごった返しているがバスはそれほど混んでいない。
バス停の数を地図でチェックしたつもりだったが、思っていた1つ前で案内が VOLKSOPER 方面といったが当然降りそこねた。原因は一方通行の 停留所を見間違えていたから。

悠々と次のバス停で降り一停留所分地下鉄(高架線を走っているのだが)沿いに戻って目的地へ。
残念ながら工事中であったがそれ以前に、建物全体が今風にペイントしてあってちょっとがっかり。



長居する気もないので地下鉄の駅へ。
昨日の陸橋といい、今見ている地下鉄のガードにしても、何と装飾過剰か。どんな由緒来歴があるものか、全くこの装飾癖は何なのだろう。
と愚考しつつホームへ上がったら反対ホームだった。



1日目に書いた通り右側通行にとまどわされる。
反対路線の階段に難民風の女性が子供の写真を見せながらしゃがんでいたが、あれは何だったのだろう。
早々に乗り場を変える。高架から下を見ていると所謂歌舞伎町というか場末のような所らしく、看板が自分でも分かる英語で林立していた。
最もヴィデオを入手出来たとしても、多分日本では見られまい。
途中で乗り換えるのだが、同じホームの乗り換えで、さすがにそっちは観光客っぽい顔ぶれだった(実際ほとんどがシェーンブルンで降りた)。
あるガイドブックのおすすめ通り一駅先まで乗り越してそこから庭園を歩くことにする。

 

 星の泉

とにかく昨日も今日も街中遠足だらけ。この駅がシェーンブルンの動物園に近いらしくとにかくいっぱい。
入口がちがうので、メインの庭園にはほとんど人がいない。
ふらふら歩き始めたがとにかく広い。比べようはないが皇居くらいの広さはあるかも知れない。ご近所さんがノンビリジョギングしてる し。皇居の周辺みたいに。
芸のない言い方しか出来ないのが口惜しいが、広さに圧倒されるばっかり。10分以上歩いて、やっと中心部の庭園を望む部分へ。

宮殿を背に中腹に見えるグロリエッテを目指す。
途中、コーナーがあってそこは迷園。
遠足の子供たちの声が外まで響いて中心部に作られた見張り台は下で右往左往する仲間たちをかまう子供でいっぱい。
覗いてみたいがちょっと遠慮することにした。



庭園中央の幅いっぱいに作られたダラダラ坂を決められたノコギリの歯状の道を上がってゆく。
途中で何組もの造園職人さんが剪定や水やりをしている。


働くおじさん3景

昨日に続き今日もめちゃくちゃ暑い。
そこを歩いて登るのは苦行に近いが、けっこうの人数が中程のグロリエッテの近所までは歩いている。
その坂道の入口がネプチューンの泉、大仰なバロック風の彫刻にはそろそろ食傷。
でもカモはいる。



権力と水というものの意味を考えつつ仕方なく上がっていくことにする。
芝刈り機のあたらぬ端に野花が残っているのが少しうれしいが、帰り道の途中で見つけたケシの花などは、すでに熱暑にやられて立ち枯れ状態だった。


ジョギング中の現地人より グロリエッテを望む

何とかたどりつくと、グロリエッテの中はカフェテリアになっておりなおかつ、有料。
鷹揚な観光客のつもりで入場料を払い、日差しをさける場所に腰掛けたら、その前にご近所の主婦らしいおんなの子を連れた3人連れが世間話をしている。
一人は妊娠後期らしくちょっとお腹が大きい。そのお腹を2歳くらいのやっとおシメがとれたくらいの元気のよい少女が、ずっと気にしている。
チョコマカとそこらを飛び跳ねては戻って相手のお母さんのお腹をちょっとなでたりしているのが妙に可愛い。
そのうちに大きいお腹を覆っているシャツをめくりかけたのを、お母さんにたしなめられてやっと、お腹から離れた。
きっと直前にお腹に赤ちゃんがいるのを聴かされていたのだろうと思うが、それがその日一番のエピソードだったりして。
ビールを飲み終わって来た坂を下りる。



本当はもう半分あるのだがそこを覗く元気がもうない。
そこにはバロック風の廃墟があったらしい、まぁいいか。

シェーンブルン

下まで降りて宮殿の裏に出たが、庭園半分歩いただけでもうお腹いっぱい。
バラの生け垣、黒く塗った鉄のアーチにバラの花が絡まっているのは、国内のバラ園などでも珍しいものではないが本家のものはやっぱり見事、藤棚をくぐって表に回る。
団体のバスが止まるといっぱいの客がぞろぞろと入ってゆくのを後ろに門を出る。



一体おれは何を見に来たのだろうと多少考えつつ前の道を行くと、道を間違えたらしくこぢんまりした長い公園がずっと続く道沿いの変な空間に迷い出てしまった。
例によってわかりもしない立ち木や草花を眺めながら大体方向を決めて歩いて行くとピッタリ。さっきの地下鉄駅の上に出た。
バスや市電のターミナルになっているらしく、立ち食いのスタンドがあったりするが、今回はパス。
さっき通った庭園入口の反対側に小さな商店街があって、タクシースタンドもあったので、椅子のあるサンドイッチのお店(ATKER)に入って指さし注文と水を頼んで一服出来た。
小さな古本屋さんも目に付いたが残念ながら探したい本はまずない。

次の目的はちょっと離れているらしいし地図にないので、タクシーを使うことにする。
行き先を見せたらちょっと首をかしげたが、行ってくれることになった。
ウィーンは一方通行が多いので気をつけなければいけないらしいが、途中でオーストリア国鉄の踏切があって貨物の通過が見られたり、郊外の住宅地を通り抜けるので結構面白い。

そのうちに市電の通る大通りに出るが、そこを直ぐに曲がって FUCHS MUSEUM の表示の方へ入ってゆく。
オッ、近づいてるなと思ってかから更に五分、鬱蒼とした植え込みに囲まれた妙な建物の前で止まる。
そこが目的地だった。
料金を払いタクシーは帰って、門の前で呆然。門がロックされているのだ。

周りに人影もないし、あちこち覗くとインターフォント呼び出しボタンのようなものが目についた。
何とか口をきくと女性の声で応答があって内側から門が開いた。
とにかく建物の存在感に圧倒される。オットー・ワグナーによって設計されたものだと云うヴィラだがとにかくくどい。
しばらくの間廃屋と化していたらしいが、大きなビルや宮殿ならともかく個人邸としては、その気持ちも分かるような気がする。

彼の造形アカデミーの正面試作案があるのだが(後述)、そう、マンディアルグの作中の娘のように、宝石の中に住むのならともかく、ひとは宝石箱の中で生活したいものだろうか。
その宝石箱のような、装飾過多のケーキのような建物の正面の入口を係の若い女性が開けて待っていてくれた。
友好的に迎え入れてくれたその空間は驚くべきものだった。ほんとに。




フックス美術館

ウィーン・ゼツェッションの巨匠の入れ物に、ウィーン幻想派の巨匠エルンスト・フックスの作品、絵 画、彫刻、家具に至るまでが負けじと空間を埋め尽くしているのだ。
絵が良いとか、家具のデザインが素敵だとか云う生半可な感想をその瞬間感じられる人がもしいるとしたら、私はその人の神経を 疑う(一連の文章で初めて使う一人称)だろう。
確かに、置かれた作品の存在は容器と溶け合いしかも鋭く対立しているが、その狂的な混淆にな れ、少しずつ神経的な緊張感がゆるみ、絵なり家具なりを少なくとも生ぬるい言葉で言えば鑑賞出 来るようになるには、少なくとも二〇分その中に居なくてはならなかった。
これは絶対日本にいては味わえない強烈な経験だった。
ではもうしたくないかと云えば、そんなことはない、きっとこんなバロック風の愉楽などと云うものは、きっとヨーロッパのどこか田舎に未だひ っそりと、ぼんくら日本人なんぞに知られぬままにきっとあるだろうから。

昼の日中に殴り倒されるような衝撃で頭をふらふらさせながら、係りのおねーさんを呼んで、退館の意を告げると、裏口まで案内してあろう事か彼女は「バイバイ」といった。
ま、それはともかく裏にある水宮殿と称する大きなオブジェを帰り際に拝観して、今度はためらいなくロックをはずして表へ出た。

ウィーンだってこんな家はあるよなというような、うれしい気持ちにしてくれる個人宅を見ながら田舎道をゆっくり歩いていると、後ろから乗りたいバスが追い越していった。
戻りたくはないのでこの先にバス停があればと、そのまま歩き続けていると、郊外の住宅地に挙動不審の外国人(自分だってそ うだが)地図を片手にウロウロしている。
通りすぎようとしたら片言英語で話しかけてくる。
「両替をしたいが銀行はどこだ」といったって、ものを買う店なんかある訳のない住宅地だ。
おかしなこという奴だなと思っていたら、いつの間にか後ろに二人組のいかにもうさんくさい奴が立って身分証のようなものを提示している。
その男が「パスポートを見せろ」と言いだした。
飛行機の相客やコンダクターのいっていた通りの状況に、「あんたの交番に行こう」と言ったら主犯とおぼしき男が突然最初に話しかけた男の肩を叩き、「NO PROBLEM」と行ってしまった。

先ほどの衝撃とは別の意味の衝撃に一瞬呆然としたが、気を取り直してまた歩き始めた。
道の向こうにモンテソーリ学校が見えてきたくらいで表通りが見えて市電の線路が見えた。

下校時間に重なったらしく、上品そうな母親に迎えに来られた兄弟が市電の通りまで一緒。弟の 方は上半身裸につり半ズボン、可愛い。
2日目の午後になってようやく右側通行になれ、素直に都心部方面の停留所(Hutterbergstrasse)に立った。
乗ってから地図で番線を確認、49番の郊外線らしい。
次の駅で小学生とおぼしき団体がどっと乗車。引率の先生もそんなに年いってるわけではないのだが、やっぱり、盛大なビール太り。小学生の頃はこんなに、と思いつつ車内を見渡すと予備軍も居ないわけではない。

いかにも小学生らしい喧噪に包まれて、都心への風景の移り変わりを楽しむ。東京などと比べれ ば規模は格段に小さいのだが、郊外住宅から、場末、都心の差は歴然としていた。
まるで実物大の シム・シティーを目の前で見ているみたいだった。
あのフックス美術館のあたりが成城、田園調布と考えても良いかもしれない。そうするとあのモンテソーリ学校は雙葉学園か。
ゴミゴミした狭い通りを何度か曲がっていつの間にか都心部の終点 VOLKSTHEATER で降りた。
ミュージアム・クォーターの前を歩くが、今日の目標ではない。

目の前に美術史博物館の偉容がマリア・テレジア像の背中越しに見える。正面玄関をフェルディナ ンド1世展とパルミジャニーノ展の大きな幟が飾っている。
そういえば、ウィーンの空港の通路で彼の大きな天使が背中越しにあの奇妙な微笑を見せていたっけ。
日本からそれ目当てでこうやって来るくらいなのだからあの展覧会は観光の目玉なんであろう。
昨日に引き続き、入館する。威圧的な正面階段も今日は怖くない。

まず特別展。2回目なので少し余裕。
最初のサープライズはかの「迷宮としての世界」の口絵を飾ったロッソ・フィオレンティーノの「イェテ ロの娘を救うモーゼ」。
以下、ポントルモ、ベッカフーミ、ジュリオ・ロマーノ、コレッジョ他(ブロンツィー ノが入っていなかったのはどんなわけがあるのだろうか、もっとも今「迷宮としての世界」を手元に置 いているのだが、それにも彼の図版が1枚も入っていなかったのは以外だった)。

パルミジャニーノに至っては、「凸面鏡の自画像」「アンテアの肖像」「聖パウロの回心」「矢を作る キューピッド」秀作、大作、素描、版画が決して広くない会場を埋め尽くしている。
その中の1点、小品だが愛らしい聖女「バルバラ」は自分の頸を受ける木の板を自ら持っていると いう、悲しい題材なのだがその板を見詰めるまなざしが、その次の瞬間の悲劇を物語っているよう だ(間違いはいやなのでいくつか聖者傳を調べた、図像学的には手に持つのは本らしいのだが)。

それにしても、ウフィッツィの「長い首の聖母」がこないのは残念だなぁ。



ただ、あれだけ大量の作品を見た後だと、大昔の美術史家が否定しようとしていた意味も分かる ような気がしてきた。
構図のためにはデッサンの狂いもいとわない彼らの手法が、古典的な先輩画家が持つ高い完成度への大いなる反抗だったのだから。

中休みは、やっぱり「カフェ・ゲルストナー」今日はさすがに空腹で、軽食を頼む。
ラザーニャ・パルミジャニーノ、あんまりな名前だけにはまってしまった。まぁ、普通の。
食後のコーヒーを終わって、勘定なのだがウェイトレスのお姉ちゃんは、2日続きで出現した異国人に奇異の目を向けながら袖を突 きあって(いるように見えた)なかなか勘定に来ない。

先ほどからカフェの中に日本人ツアー客がちらほら。
後日ツアコンの人に聞いたらKHMをツアーに選ぶのは珍しいらしい。そうだよね、さっさと見たって時間かかるもの。
一休みが終わって席を立って常設展示に向かう。

そこには例えば、肉の饗宴としか認識していなかったルーベンスと言えども、「メデューサの首」の 暗部を持ち、カラヴァッジオの美しい闇の中に浮かび上がる「ダヴィデとゴリアテ」は、ティツィアーノ、 コレッジオなどと絡み合ってマニエリスムからバロックへと流れをつくっていく様をたった一部屋で現 前させる。
ヴェラスケスの大いなる見合い写真「マルガリータ像」の集団が、この帝国の版図の大きさを見せつけている。
さらに片隅にはクラナッハ、バルドゥング・グリーン、アルトドルファーなどの中世から続く初期ルネッサンス諸作が。
無造作に置かれたように見える小さな小間にも珠玉の作品が置かれ、たとえ退屈の極致ヴァン・ダイクでさえも含まれる、人類遺産とも云うべきその集合体に。美術史のパノラマに、生半可の西洋かぶれの素人が何について語れるというのか。
だから、これでお終い。

僅かに自分の言葉で語れるものがあるとすれば、ブリューゲルの予言の書「バベルの塔」は、その 隣を「フランドルの子供の遊び」と「謝肉祭と四旬節の喧嘩」が占めるその夢のような空間に屹立す る。
その奇妙な石と煉瓦造りの塔はその内部から大地の部品としての岩盤がふくれあがって人間 の営為を中から破壊しつつあるようにしか見えない。
その前に立ち、座り、近づき離れ、矯めつ眇めつしているうちに生まれるこの奇妙な感覚は、画集を 見ていたのでは間違いなく得られなかったと思いたい。
そして、「農家の婚礼」のあののどかなお嫁さんと自分の婚礼だというのにワインをついで回るま めなお婿さん、手前で座り込んでパンをかじる、でかすぎる帽子のガキんちょに逢うこともできた。

今日はまだ余力があるので、エジプト室も覗く。
ただここは、何点かの「死者の書」を除いて、東京国立博物館と同じにおいがする。
これは蓄積ではないから、あまり怖くないしそれほど感動もなかった。
昨日眼をつけていたものを確認しにミュージアムショップへ降りる。
一回りしてもパルミジャニーノ関連は見あたらない。やっぱり本国でも文献はないんだな。
イタリアで作成したヴィデオは置いてあるがヨーロッパと再生方式が違うのであきらめる。

で、たった一組。化け物のような本を買う。
「Der Turmbau zu Babel」KHMの分館eggenbergの城で現在行われている大展覧会の大部なカタログ。
四分冊箱入第一巻目は、古今東西の表現されたバベルの塔と実在のバベルの塔の研究発掘史。第二巻は、人類と言語・言語学の歴史。第三巻 はA、Bに別れた文字とその表現の総括的研究。
70ユーロ、ほぼ9000円強だがハードカヴァーなら3倍はするだろう。この四冊でバベルの塔百科。
これでドイツ語でなければなぁ。(勿論キリル文字ではもっと困るけれど)

 これが表紙

デカイ、重い、でレジに持ってったら、おねえさんがビックリしていたっけ。
某社の某さん今度一巻目だけ持っていきます。バベルの塔画集ですから。
とんでもない買い物をしちゃったので、もうどこへも行かれなくなってしまい、今日はこれでやっと終 わり。

リンク内回りの市電でビョルゼまで。
いつものように(なってしまった)帰りがけスーパーで、バーゲンの缶ビール×3。
TVは、いつもの「クイズショウ」と「ドーナウ河口三角州のドキュメンタリー」。

その3(6/13)

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